旅の話
宮古島に帰ってまいりました。

2016年から2017年にかけての3週間、今年12歳になる息子と二人でタイをぶらぶら、バックパックを担いで旅をしてきました。
クリスマスまでは南の島でノンビリ(息子が食あたりになり、大変でしたが)、年末から年始にかけてはイサーン(タイ東北部)のあまり観光客のいない町々をノンビリとまわりました。
特に何かを見たり、するわけではなく、適当に散歩したり、公園の池で魚に餌をあげたり、ボートを漕いだり、デパート最上階のゲームセンターでウイイレ(TVサッカーゲーム)したり。
別にわざわざタイに行かなくても日本でもできるようなことを、息子と異国の地で、あえてしてきたことになります。

息子が生まれて以来、こんなにも長い間二人っきりで過ごしたのは初めてのことです。

こんなご時世にもかかわらず、スマホもタブレットも持ちあわせない二人が異国を旅するということで、否が応でも、僕からすると息子、息子からすると僕(父親)と向き合わざるを得ないということになり、なかなか面白く濃密な時間が過ごせたような気がします。

僕からすると息子は過去。
もちろん僕も子供であったし、親子だからか当然似ているところもあり、息子を見ていて、まるでかつての僕をみているような不思議な気持ちになりました。

息子からすると僕は未来。
息子もいずれは大人になり、父になるわけで、もしかすると今回の僕たちのように未来の子供と二人で旅をすることもあり得るわけで、その時は今回の旅のことを思い出すかもしれません。

僕は母子家庭で育ったので父親のイメージがないのですが、祖父(母親の父)には子供時代によく可愛がってもらいました。
この旅で何故か、僕は息子と向き合うことによってその祖父のことをよく思い出しました。

僕が7歳ぐらいの時、普段はお茶を飲みながら一日中テレビを見ている祖父が、わりと近くの川(自転車で30分くらい)に投網をしに行こうと、僕を誘い出してくれたこと。
祖父と投網を用意し自転車をこぎ、川へと向かう道中の景色や会話。
川に着き、祖父が意気揚々、投網を何回か川に投げ込んだこと。
でも結局、魚は一匹も摂れなかったこと。
何もなかったかのように自転車で家に帰り、いつものように、一緒にお茶を飲みながらテレビを見たこと。
僕は今でも自分でも驚くほど鮮明に覚えていました。
もう随分も前に亡くなった祖父が、すっかり忘れていた思い出が、突然僕のなかで、時間の軸がゆがんだかのように、生き生きと蘇ってきました。

祖父に何の意図があったのか、なかったのか。
僕がしたことに何の意図があったのか、なかったのか。
息子が僕のしたことをどう感じたのか、どう考えたのか。考えなかったのか。

今回の旅を、息子がいつの日か、思い出してくれたら嬉しく思います。

僕たちは現在を旅し、過去にも、未来にも旅をしてきたのかもしれません。

それはある。それはあった。それはあり続ける。

なんだか不思議。でもやっぱり旅はいいものですね。

もちろん僕は充電完了。ひららやはオープンしております。
宮古島はいい天気で暖かい日々が続いています。冬の宮古島もいいですよ。
旅しに来てください、みなさまのお越しをお待ちしております。

南の島にある、小さなゲストハウス。
本年もひららやをよろしくお願いいたします。



旅の話_e0189263_893232.jpg

by hiraraya | 2017-01-14 10:09
<< マイルール タイランド >>